その後、長い年月のなかで、そうした支えがなかったら、はじめての悲しみという、恐ろしい時間を、どうやって乗り越えられただろうかと、私はよく考えた。
そのとき私は、4時限目のクラスから校長室に呼び出された。
父と教区牧師、それに姉のIが私を迎えてくれた。
彼らの顔を見ただけで、私は何を聞かされるかピンときた。
「そんな、まさか!そんなはずはない、いやだ、いやだ、いやだ!」私はそう言って、ただ泣いていたのを覚えている。
みんなは長い間、しっかりと、だが震えながら私の肩を抱いてくれた。
彼らと私の涙がまじり合って、生まれてはじめて、胸の張り裂けるような痛みとなって私に伝わってきた。
家に戻ってから、ほかの2人の姉、EとMと私は抱き合って泣き事になった。
悲しみとは、何かがうまくいかなかったり、脅かされるような状況に順応するときに、経験する痛みのことだ。
愛する人が亡くなったとき、健康状態について悪い知らせを聞かされるとき、貴重な仕事を失ったとき、あるいは個人的な拒絶にあったとき、人は順応することが必要だ。
大なり小なり、人生には毎日のようにうまくいかないことが起きるが、心身や生命に浸透する痛みは、悲しみになる。
まずは、大切な人の死がもたらすあらがいがたい悲しみと、その渦中の人にどう接したらよいか考えよう。
次のような状況で効果的に対処するには準備がいる。
親友の夫が心臓発作で急死した。
同僚の母親が長期間わずらったすえに亡くなった。
人がドライブ中、嵐にあって事故になり、死んだ。
昔からの友人が流産してふさぎ込んでいる。
小さな娘が、就寝中に呼吸困難になったと電話がかかってくる。
子供の担任の先生がエイズで死んだ。
そうした切迫した状況に出合うのは日常茶飯事でないのは幸いだ。
だが、いずれ気が動転するようなことに見舞われるという恐れが、私たちの頭を離れないのも確かだ。
やがてそのときがくると、慰めを引き立たせるような、いわゆる「神聖な気持ち」で遺族に近づき、雰囲気にふさわしいことを言いたいと思う。
だが、私たちは死そのものと、いずれはみんな死ぬという現実を忘れようとして懸命に働く。
悲しみについて学ぶ授業は皆無で、感情面で適切に悲しみに対処できるような経験はほとんどしない。
私たちは、そんな社会に住んでいる。
そこで、そうした場面に遭遇するまでは、自分を不器用で不安だと感じている。
賃貸事務所がなくなり次第終了します。賃貸事務所の世界へあなたをお招き致します。
ビジネス視点で貸事務所の登場です。スタッフお勧めの貸事務所を紹介します。
